第148号 知事対談 (令和元年9月20日対談)

<知事対談>日本遺産等の地域遺産を活用した地域活性化

はじめに

知事 高砂を中心に「御影屋」というユニークなお店をされている柿木さんは、もともと高砂青年会議所理事長さんでした。次に、NPO法人姫路コンベンションサポート理事長の玉田さん。姫路を中心に、銀の馬車道一帯でご活躍です。最後に山陰海岸ジオパークガイドコーディネーターの今井さん。今回は3人の方をお迎えしています。

自己紹介

知事 それでは柿木さんから、自己紹介を兼ねて、今までの活動についてお話しください。   

柿木 高砂市で生まれ育ち、32歳の時に青年会議所に入会し、2009年に理事長になりました。その時、自身が高砂の事について何も知らないし、知人に聞いてみても親子共々あまり興味がない。キャラクターなど人の目に触れるものをつくったら、子どもがお母さんに、「ねーねー『ぼっくりん』って何?」ってなるかなと思って仕掛けをつくりました。名前は市内の小学生に募集をしました。それから高砂市のマスコットキャラクターとして活動を展開し、その頃から行政と一緒に全国で高砂市PR活動を始めました。

知事 「ぼっくりん」は人気があるそうですね。

柿木 全国での活動のおかげでCMに出させていただき、またイラストを使用したポスターや看板ができ定着しました。

知事 次に玉田さん、NPO法人姫路コンベンションサポートはどういうきっかけでお作りになったんですか? 

玉田 以前は神戸でホテルマンをしておりました。退職後、姫路市の記念事業推進室に入り、行政の一員として事業に携わりました。その後、次は民間と行政の間をとりもって何かできないかなぁと。ちょうど姫路市が観光を1つの産業としてとらえ取り組みを始める時でしたので、おもてなし資源をみんなで作っていきたいと思い、NPOを立ち上げました。それからもう20年、姫路に住んで30年になるんですが、出身は赤穂市でございます(笑)。   

知事 赤穂で生まれ育って神戸で修行して、その中間の姫路に落ち着いたと。

玉田 そうです。「ひめじ良さ恋まつり」を立ち上げるところから始めました。ボランティアってもっと気合いがいるものだと思っていたんですが、そうでもなくて、自分のできることをお手伝いするというのが、ボランティアだと分かりました。それも市民の皆さんにお伝えしながら、一緒に街を盛り上げていく活動をしています。  

知事 自然体でできることなんですね。

玉田 そうですね。自然体で取り組んでいます。

知事 それでは、次は今井さんです。今井さんは、今ではどっぷり香美町につかっていらっしゃいますが、もともと香美町と全く関わりがないんですよね。

今井 大阪生まれで、大学で化学を専攻し、卒業後は播磨町の化学会社に就職、大阪から明石に移り住みました。当時ストレスで今より10㎏ぐらい太っていて、ダイエットで始めたダイビングにハマってしまいました(笑)。知人から香住のダイビング屋さんがインストラクターを募集していると紹介され、行ってみたら海の美しさにびっくりしました。 それからずっと2拠点生活をしていたんですが、そのうちに現在の夫と一緒に、環境活動や教育活動、ビーチクリーン活動を行う「NPOたじま海の学校」を立ち上げました。それをきっかけに結婚しまして、会社をやめて、明石から香美町に移住しました。   

知事 結婚の力って大きいですね。

今井 それから2年後に、ダイビング中の事故がきっかけで、一時期私が潜れなくなってしまって。その時に夫が紹介してくれたのがジオパークでした。最初8ヶ月だけのつもりだったのが、「今井さんおもしろいからもう少し続けてね」ということで、そのまま3年間、ジオパーク推進員という香美町の嘱託職員を引き受けることになりました。

復元!「松右衛門帆」そして地場産業振興へ

知事 さて、柿木さん。柿木さんはどうやって松右衛門帆を見つけられたのか。そして、松右衛門帆の特色は何なのか。今どう活用されているのかを教えて下さい。

柿木 「『ぼっくりん』以外に、地域資源を活用した何かをブランディングしてくれないか」と言われたことが始まりでした。高砂市史を読みながら、日本で初めて帆布を作った人物が高砂出身の工楽松右衛門ということを知りました。 調べる中で、神戸芸術工科大学の野口教授が書かれた、西脇の播州織についてのレポートの中に、工楽松右衛門のことが載っていたのを見つけました。すぐにアポイントをとり、松右衛門帆と今の一般帆布とどう違うのか説明を受けました。

知事 どう違うの?

柿木 一般の帆布は一本一本、交互に織られているんです。それに対して、松右衛門帆は二本二本で引きそろえられて織られている、という点で全く違います。 打ち込み本数、1インチの中に何本打ち込まれているか、これによって柔らかくなったり堅くなったりするんですけど、松右衛門帆の場合は打ち込み本数が少ないので柔らかい生地になります。 野口教授と共に神戸大学海事博物館にあった、工楽家が寄贈した帆布を糸一本から調べ上げて、2010年に松右衛門帆を復元しました。

松右衛門帆に触れてみよう!

柿木 復元後、高砂の万灯祭というキャンドルイベントで、帆を見立てたものを作り展示しました。

知事 今は何に使われているんですか?

柿木 帆として展示しても全国にPRするのは難しいなと思ったので、商品展開しようとバッグを作りました。

知事 これは簡単に染まるんですか?

柿木 綿なので問題なく染まります。

知事 御影屋さんは、松右衛門帆の製造工程を一括してされているんですか?

柿木 今は織だけです。あと小物を作っています。いらなくなった生地を捨てるのがもったいないので、何かに使えないかと思いまして。

知事 他に協力していただいているところは?

柿木 西脇の方で織と染めをしてもらっています。カバンに使うパーツは姫路レザーやたつのレザーを使っています。カバンの製造は豊岡で。

知事 全て兵庫の関係者が作り上げているバッグですね。

柿木 そうですね。そこにはこだわりをもっています。これから全国に発信できたらなと思っています。

知事 それは楽しみですね!それから、松右衛門帆は外洋船に使ったんですか?

柿木 北前船に使われていました。

知事 じゃあ丈夫ですね。日本遺産にちゃんと採用されているじゃない 。北前船の帆ということで、ぜひさらに大きく帆を張っていっていただきたいと思います。

「銀の馬車道」のPRから始まった、演劇による地域おこし

知事 銀の馬車道、日本遺産になりましたね。私も何度か拝見したんですけれど、「銀の馬車道劇団」はどういうきっかけでスタートして、今はどうなっているんですか?

玉田 中播磨県民局から、実際は運んでいた訳ではなさそうなんですが、生野から銀を飾磨の港まで運んでいた日本初の産業高速道路「銀の馬車道」をみんなに知ってもらうために、何かイベントができないかなと相談されたのがきっかけでした。知人の松竹株式会社のプロデューサーに相談したら、「住人達でつくる劇団」はどうかと。プロの俳優も一緒にやっていこうと提案されました。そこで出演者をどうするかを考えていた時、平成18年当時、但馬・丹波・播磨をつなぐ拠点で、宿場町として栄えた福崎町田原にある小学校が開校100年を迎えると知りました。ここでやろうと田原小学校に行き、校長先生やPTAなどに声かけをしたところ、子どもたちがやりたいとたくさん集まってきました。知事がご覧になった時も、なぜか大人の役を子どもがやっていたのですが(笑)。

知事 夫婦の愛情細やかなシーンを子どもがやっているんですよね。これが合わないんですよね(笑)。

玉田 笑うシーンじゃなくて、しんみりするシーンなんですけどね(笑)。 10年間やってきますと、小学生は大学生や社会人になり、今度は子ども達を指導するといった良い循環が生まれてきました。中には学校の先生になって福崎に帰って来たいという子どももいます。

知事 目的の「銀の馬車道」のPR効果はいかがでしたか?

玉田 一定の効果はでたのかなと。

知事 沿線の人たちは、もう「銀の馬車道」を理解してる?

玉田 はい。演劇をもう飽きるほど観ましたという方もいらっしゃいます。十分に役割を果たせたと思います。そこで、平成30年8月の姫路公演をもちまして、一旦休止をしております。また機会があれば、劇団員が集まってPRのお手伝いができればなと思います。

知事 12年間くらい?

玉田 そうですね。自然体で取り組んでいます

知事 自然体でできることなんですね。

玉田 通算で12年間くらい、公演数は16回、動員数は8,000名くらいです。

知事 そうなんだ。頑張ってこられたんですね。

玉田 頑張ってこられたのは、地域の方々が盛り上がって下さったのが大きいです。

知事 住民劇団というコンセプトがよかったんですね。

玉田 そうですね。必ず地元の小学生や大人に参加してもらってきましたし、手作り劇団というのがよかったと思います。それに12年間付き合ってくださった、渋谷天外さんはじめ松竹の方々には非常に感謝しております。

知事 日本遺産に「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」っていう形で指定されたでしょ?指定されたら、もっと銀の馬車道をPRするために頑張るのが一般的かなと思うんですが。

玉田 おっしゃるとおりです。ただボランティア劇団になりますと、例えば大阪でやろうとしたとき、皆さん仕事を休んでいけるかとなるとなかなか難しいんですね。また、地元でやるからこそご近所の方々や学校のお友達が見に来てくれる。これからは次の展開があるんじゃないかなと思い、非常に惜しまれながら舞台を降りました。

知事 次はどういう活動をされているんですか?

玉田 実は、「銀の馬車道」は沿線の方々にはよく知ってもらったのですが…中・高校生の層がごっそり抜けています。ということで、今年12月に「銀の馬車道高校生フォーラム」をします。沿線の高校生に集まってもらって、今「銀の馬車道生徒会」みたいなものを立ち上げています。ここで、「どうしたら銀の馬車道を自分たちの世代に知ってもらえるか」をテーマに話をしてもらいます。

知事 高校生がのってきたということは日本遺産に指定されたことが大きいのかな。

玉田 大きいですね。高校生の発想はすごくおもしろいです。「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」は漢字が多すぎる。全部まとめて「銀の馬車道市」という、大きな市にしたらどうかと言われました(笑)。

知事 楽しそうですね。

山陰海岸ジオパークをはじめ、但馬の魅力は盛りだくさん!

知事 山陰海岸は非常に変化に富んだ美しい海岸で、ジオパークに指定されて、私達もジオパーク推進プロデューサーの設置など推進体制も整えて、もっとしっかりと発信していこうとしています。 今井さんがジオパークにおいてどういう活動を展開してきたか、それからその活動が現在どう結びついているか、将来にどうつないでいくかという観点でお話しください。

今井 ジオパークの地形、地質、風土を保全しながら、教育や観光、商品作りなどをして、持続可能な地域づくりをしていこうと動いています。 この大地を活かした暮らしぶりをPRしていく出前活動を3年8ヶ月の間に108回もさせてもらいました(笑)。

知事 108回!

今井 はい。また、いわゆるサイエンスカフェのジオパーク版「ジオカフェ」を、地理学や農業、漁業の専門家とふれあうイベントとして開催しました。 子ども達に対しては、地元を回ってもらいたいなと思って、専門家や現役の先生と一緒に「ジオパークフィールドノート」という冊子を作りました。

知事 これはおもしろいですね。

今井 ありがとうございます。そうやっていろんな活動をやっていくと、ジオパークを使って商品を作ったりPRをしたりする、たくさんのおもしろい人と出会うことができました。

知事 柿木さんと一緒だ。

今井 そうですね!そうすると、東京や大阪に出た同級生が「あいつ頑張ってるし、香美町おもしろくなってきたな」と帰ってくるんです。それが但馬全体に広がるともっとおもしろいなと思って、香美町を退職して起業しました。

知事 今はどういうお仕事を?

今井 集客のコンサルタントを行う会社をしています。これまでよく聞いたのが、まず地域資源を知らない、気づいていてもどう伝えていいか分からないということだったので、記憶に残る伝え方を教えています。 例えば、香美町は梨の生産量県内一位ですが、鳥取等の他の梨の産地では使われないものを使っています。香住といえばカニ、そのカニの殻を使っているんです。成分の一つであるキチンキトサンは土が硬くなるのを防ぎ、もうひとつ、アスタキサンチンには抗菌作用があって土の中の悪い成分をなくします。そういう話をすると、地元のものを買ってくれるようになるんです。

知事 資源を地域と結びつけ、ストーリー化していくことが重要なんですね。

今井 知事がおっしゃるとおり、ストーリーを伝えていくのは大事だと思います。また、山陰海岸ジオパークのガイドコーディネーターとしての活動もしています。私は1カ所のガイドにとどまらず、たとえば竹野や浜坂という他のジオパークエリアと結びつけるような活動をしています。 平成29年には余部橋梁にクリスタルタワーができまして。

知事 エレベーターでしょ。 このエレベーターをつくったのは、冬の日本海を見てもらいたかったからです。日本海は春夏秋はすごく静かで絶好の潜りの海なんですが、冬はとんでもない荒海。その荒海を体験して欲しいと思ってね。

今井 ここを案内するガイドを養成してくださいとの要望があり、ジオガイドチーム「香美がたり」というチームを作りました。ガイド歴40年の遊覧船「かすみ丸」の3姉妹船長をされていた方々や、説明がマニアックで楽しい元国鉄職員の方などがいて、非常に人気です。

知事 観光資源がますます増殖している。

今井 そうですね。本当にありがたいです。

知事 大阪出身だからこそ、但馬の良さを見つけられたということはあるんですか?

今井 それは大きいと思います。地元の方って、知事のおっしゃった冬の荒波とか「それがどうしたの」って言われるんです。観光客は荒れ狂う日本海を見たくて来てるんですよと言うと「え?」と(笑)。

知事 今井さんは地域の資源と人とを結びつけて、ネットワーク化してくれているんですね。

今後の抱負

知事 最後に、これからの抱負を語っていただきましょう。まずは柿木さん。

柿木 はい。2年ほど前から、古民家や空き家活用の勉強をしています。高砂町内には空き店舗や古民家が多いんですが、なかなか手をつけられないというのが現状です。古民家といいながら古い家ではなく、トタンが錆びていたり看板が古くなったり。「これドラマのセットみたいやな」と言われるような空間が高砂町内に残っているのです。  

知事 トタンの錆びているままで残そうと?

柿木 高砂に来なければ見られないような古民家空き家、空き店舗プロジェクトを今進めています。松右衛門帆についても、デザイン関係の人に高砂市内の古民家に住んで製作活動をしてもらえたら、すごく素敵な街になっていくのではと考えています。  

知事 古民家というよりは、古い昭和住居を使ったまちづくりですね。

柿木 そうですね。他のエリアと差別化するために、昭和初期ぐらいの味をそのまま残しつつ、何かしらの店舗を作っていくというのも一つかなと。 

知事 そうすると中に何をいれるか、それが重要ですね。高砂の歴史や文化とかと結びついてくるといいんでしょうね。

知事 玉田さんはいかがですか。

玉田 銀の馬車道劇団の10年間の活動を『我がまちの人情喜劇 「銀の馬車道」』という一冊の本にまとめました。 これまでの道のりをきっちりまとめておこうという思いからだったんですが、これが意外な効果で。今、昭和30年くらいに建てられた文化施設が古くなってきていて、改修等をする時期にあたりますが、これからクリエイティブなものに市民がどう関わっていけるか、話を聞きたいという方がかなりいらっしゃいます。そういう方々の力になりたいのがひとつ。 もう一つ、今度は宍粟市、たつの市に目を向けまして「発酵ロード」をやりたいと思っています。播磨国風土記によると、宍粟は日本酒発祥の地と言われ、下流域では醤油、小麦、もろみ、味噌づくりが盛んなんですが、それらは宍粟にあった「たたら」のおかげだという説があります。こういった地域資源を地域の人と見直しながら、播磨の「発酵ロード」を全国にPRしたいなと思っています。

知事 「発酵ロード」か。宍粟が起点で、終点は?

玉田 網干あるいは赤穂あたり。ポテンシャルが非常に高いと思うんです。

知事 それでは最後に、今井さんお願いします。 

今井 私はジオパークの活動に対して、ボランティアのイメージがすごく強かったんですが、実際に起業してからは、地域を盛り上げていくには適正な対価をもらってやっていかないと続かないって事に初めて気が付いたんです。住民自身が地域を支えないといけないと思うようになりました。それに、地域を守りたい人と大事にしたい人が交わる時に、良い化学反応が起こるんです。 

知事 化学反応ですか。

今井 その化学反応を見るのが好きで。但馬だけではなく、県全域で新たな産業を産み出すためには、いろんな人を結びつけていかなきゃなと思います。 

知事 これはなんか、ずいぶん発展しそうですね。 

今井 山陰海岸ジオ-パークだからって黙っていたら、お客さんは全然来ないですよ。 

知事 鉱石の道もとりこんで。

今井 そうですね。ジオジオで、一緒にやりたいなと思っています。ジオパークは日本に40以上ありますので、ネットワーク活動の中で、ブランド力を高めようと動き始めたところです 。 また、香美町って海外から嫁いでいる方が結構いるんです。インバウンドのガイドって日本人で英語が話せる人ってイメージですけれど、嫁いでこられた方がその国の方を案内するとなると、日本の暮らしやその暮らしと大地に根付いた話をたくさんしてくださるからおもしろいなと。そういうガイドさんをうちのNPOで育てられたらいいなと思います。  

知事 それは非常に重要ですね。お二人の活動にも通ずるところですよね。

知事 柿木さんは民家の改修に対して、プロジェクト名をつけられているとか。

柿木 「#高砂ガウディ計画」です。アントニオ・ガウディのサグラダ・ファミリアが建築し続けていることから、高砂もつくり続けていくという思いから、合言葉で「#高砂ガウディ計画」としています(笑)。

知事 なかなかユニークですね。玉田さんの活動も、何か名前を付けた方がいいんじゃない?

玉田 ほんとですね、負けられない(笑)。「発酵ロード」だけじゃなく、もうちょっと何か広められるようなものを考えます。

知事 発酵ロード自体、誰もが思いつくものではないですが。そして今井さんは化学反応、触媒ですね。お三方から、地域の資源を活用して、地域の活性化に繋がる活動をご紹介いただき、これからの抱負も語っていただきました。お三方のような方が地域にいらっしゃることが、兵庫の元気に繋がります。これからもどうぞよろしくお願いいたします。今日はありがとうございました。

柿木 玉田 今井 ありがとうございました。