第150号 知事対談 (令和2年9月25日対談)
<知事対談>地域と若者を紡いでまちを元気に
はじめに
今回は「地域と若者を紡いでまちを元気に」をテーマに、コロナ禍においても工夫を凝らしながら活動を展開されているNPO法人なごみ事務局長の田村幸大さんと、認定NPO法人宝塚NPOセンター理事長の中山光子さんに知事と語り合っていただきました。
自己紹介
田村 明石市出身、西宮市在住です。関西学院大学社会学部社会福祉学科に進学しました。社会教育に強く関心があり、大学3回生の時に、子どもと大学生だけで「自分たちが行きたくなる学校を作ろう」というプロジェクトを立ち上げ、京都にある廃校舎を借りて3日間の自由な学校を作りました。それが好評で、西宮市内の様々な地域から、同じようなプログラムを実施してほしいという要望が集まるようになりました。地域内で、学校や家庭以外の場所に子どもたちの社会教育の場を広げていきたいという強い思いがあったので、卒業後も活動していました。活動のたび、集まった子どもが再び日常生活に戻っていくのを見て、子どもたちが日常生活の中で多世代交流や、様々な大人と触れ合うような社会体験ができたらいいなと考えるようになり、現在の鳴尾東地域に一つ拠点を置くことにしたのです。
知事 やはり拠点というか、“場”が必要なのですね。
田村 そうですね。当時の地域の会長に、つどい場を作らせてもらえないかと持ちかけました。二度断られましたが、交渉の末、地域も応援しようという話になり、空き家を使った多世代交流の場を始めたのです。
知事 なるほど。では次に、中山さん、自己紹介をお願いします。
中山 はい。私は東京生まれの東京育ちです。成城学園という、遊びや劇の授業があり、自治会活動も盛んな、とても自由な校風の学校で、小学生の頃から過ごしました。多分その頃にNPOの芽というか、自分たちで何かを解決するという芽ができたのだろうなと思っています。その後、結婚し、家族とともに転勤を繰り返していました。
知事 宝塚へは転勤で来られたのですか?
中山 はい、転勤で。兵庫県に来たら、食べ物はおいしくて、海も山もある。人生の中で一番長く住んでいるのが兵庫県になりました。
子育てが一段落した後、コープこうべで組合員活動のお手伝いを始めたのですが、それ以来、NPOや市民活動に触れるようになりました。その後、宝塚で家を買い、自分が住む町を自分たちで支えることができないだろうかと思っていた時に、宝塚NPOセンターの前事務局長に「あなたうちへいらっしゃい」と声をかけられまして、平成22年に事務局長に、そして昨年から理事長に就任しました。
知事 大ベテランの理事長さんが誕生したわけですね。
中山 いえいえ、そんなことないです。
地域交流拠点「まちcaféなごみ」
知事 それでは活動内容をご紹介いただきましょう。最初に田村さんから。なぜ「なごみ」という名前をつけたのですか?
田村 最初につどい場を立ち上げた時、今のNPO法人なごみの前身になる「鳴尾東ふれあいまちづくりの会 和(なごみ)」という団体を作りました。
知事 その時から「なごみ」という名称をつけていたのですね。
田村 はい。地域の方々と一緒に、和やかな空気を作りたいという思いから名前をつけました。1年半ほど、空き家を使ったつどい場活動をしていました。
知事 NPO法人なごみは、皆さんが集まるカフェのような場を中心に活動を展開しているとお聞きしているのですが。
田村 そうです。平成26年の介護保険法の改正を受け、西宮市では地域で常設型の居場所を作り、高齢者の介護予防や見守り活動の拠点にする構想を検討していました。鳴尾東地域でモデル事業をしないかと声がかかり、それを機に、任意団体をNPO法人化し、「まちcaféなごみ」という居場所をオープンさせました。
知事 具体的にはどのような活動をされているのでしょうか。
田村 1日に50~60人ぐらいの住民が集まり、体操や介護予防活動をしています。地域の課題も集まってくるので、その課題を解決するまちづくり活動へと事業展開していきました。
大学生との連携で見つけた地域課題
田村 平成28年に母校である関西学院大学の学生が地域活動に参加し始めたことがきっかけになりました。地域の大規模な調査が行われ、地域の担い手が高齢化していること、情報がうまく地域に届いていないこと、高齢者だけでなく、障害がある方や子育て世代の方の居場所が少ないことなどの課題を発見したのです。
知事 そこから大学との連携事業が始まったのですか。
田村 はい。当時は地域課題がすごく複雑で、どこから手をつけていいのか分からない状態でした。地域住民だけで調査するのは結構大変で、なかなか腰が上がらなかったのですが、学生が地域に入り、地域の人も協力して課題を整理できました。そこから課題解決に向け、学生と連携した活動が始まりました。
知事 学生と地域の人がコラボして、地域課題や新しい地域支援の発見につながったのですね。
中間支援と就労支援の二輪の車輪
知事 中山さん、宝塚NPOセンターではどのような事業をされていますか。
中山 今の宝塚NPOセンターは「二輪の車輪で走っている」と言っておりまして、中間支援事業と就労支援事業の両方で活動しています。
知事 中間支援事業とは、NPOを育てる事業、あるいはボランティア活動を応援する事業ですね。
中山 そうです。コミュニティ・ビジネスを推進するNPOや一般社団法人などを支援しています。
また、就労支援では、最初は定年退職した高齢者の支援を行っていました。しかしリーマン・ショック以降、今まで一度も仕事をしたことがない30代後半から40代の若い方が、仕事を紹介してくれないかと相談に来られるようになりました。彼らの就労支援も大切だと思い、厚生労働省の「若者サポートステーション事業」に手を挙げて受託し、今は若者の就労支援をしています。
コロナ禍で活躍「まちのよろず屋」
知事 田村さんも「まちcaféなごみ」を拠点に、様々な事業を実施されていますが、特筆すべき事業はありますか?
田村 コロナ禍の活動としては、4年がかりで準備をし、昨年7月から始めた「まちのよろず屋」事業があります。30分500円で住民の困り事を解決するものです。先ほどお話しした地域調査の際、ボランティアセンターに相談が入りにくくなっている課題が見つかり、手伝いを頼みやすい環境を作ろうと、この事業が始まりました。今で1年ほど経過しますが、この事業が広く活用されています。コロナ禍でご自身だけでは生活の維持が困難な方のお手伝い、例えば、買い物やゴミ捨てなどをまちのよろず屋が行っています。その他、掃除や剪定など色々な相談が入りますが、それらに応えています。
知事 ワンコインで小さな仕事を代行するわけですね。入ってきた仕事を誰に回すのかというコーディネート機能は、まちのよろず屋の事務局がされているのですか?
田村 はい。
知事 どういう方々が参加されていますか。
田村 利用者と活動サポーターというボランティア、全て住民で構成しており、世代に関係なくどなたでも参加できる仕組みが特徴です。今、活動サポーターには70名の方が登録しています。このうち60代以下の住民が83%を占めています。一番の若手は高校生で5名、大学生を含めた20代が8名、子育てママさんが9名、40代の主婦が最も多く17名登録されています。これまで地域活動は年配の方によって支えられているところがありましたが、この事業をきっかけに担い手が発掘されていることも大きな特徴です。多世代で構成するからこそ、様々なニーズに応えることができます。最近では、手持ちの扇風機を買ってきて欲しいという依頼もありました。そういう依頼は若者の方が得意だったりします。
知事 高校生が歩きながら、手持ち扇風機をやっていますね。
田村 高校生はコロナ禍で休校の間、生活リズムを整えることも兼ねて、朝ごみ捨てを手伝ってくれていました。
知事 「よろず屋」って古い名前を、よく思いつきましたね。
田村 主な対象が年配の方でしたので、今風の名前よりも、頼みやすい名前をつけた方が広がるのではないかと思い、そういう名称にしました。
知事 「まちのよろず屋」は活動をよく表している、いいネーミングですね。
地域と連携した若者サポートステーション事業
知事 それでは中山さん、具体の活動内容をお話しいただけますか。
中山 はい。「若者サポートステーション」は15~49歳の若くて、無業状態の人たちを就労まで持っていく事業です。昨年までは39歳までの方を対象としていましたが、今年から49歳までになりました。キャリアカウンセリングをしながらグループ活動を行い、皆さんそれなりに就職をされています。私たちは地域と連携しながら活動しているのですが、例えば地域で夏祭りをする際に太鼓を運んだり、やぐらを組んだりする人がなかなかいないので、そのお手伝いなどをしています。少しおとなしく、これまで祭りの中心になることがなかったような若者が、何人かのグループになって地域の人たちのお手伝いをして、「ありがとう」と感謝の言葉をかけられる。それが積み重なって、就労への自信につながっていきます。
知事 なるほど。仕事を頼まれた若い人たちは報酬を得るのですか?
中山 いいえ、社会体験、ボランティア体験ということで。
知事 無償のボランティア。
中山 そうです。ただし、仕事に就いていない方達なので、交通費がなかなか払えません。その場合は、私たちの団体がいただいた寄付から、交通費をお支払いしています。
知事 交通費を出す、実費弁償ですね。
中山 地域の方からの「ありがとう」という言葉に、本当に後押しされるのです。人に認めていただくことが、就労に向けたワンステップを踏み出す力になるので、地域の方との連携は本当に大きいなと思っています。
知事 田村さん、何か感想がありますか?
田村 本当にそのとおりで、よろず屋の活動で若い担い手が出てきているのは、行った先ですぐに成果が出て、やりがいを持てるからだと思います。やってよかったな、次もやろうかなとつながっていく。
中山 そうですね。
知事 どういうところに就職をされていますか。
横山 就職は様々で、公務員になった方もおられます。その方の希望に添った就職を支援しています。私たちは、働くことが「社会と接する窓口」だと思っているのです。
このような方がおられたのですが、30代の女性で、お母様がご病気で看病をしなければいけない状況になり、高校1年生で中退されました。週2日だけ自由になる時間があり、その時間を使って働きたいと相談に来られました。週2日ではなかなか仕事がないのですが、清掃の仕事を自分で見つけられて、その就職をサポートしました。現在、彼女は週2日の清掃の仕事をすることで社会と接する場を持っています。そのようなお手伝いをしています。
知事 お二人とも、悩める若者に良い機会を提供し、その機会が大きく育っていますね。
中山 その他に、例えばふすまや畳のリフォーム会社である「株式会社あたらし」という事業者さんは、若者に理解があり、就職希望者を受け入れてくれます。作業が細分化されているため、真面目だけれども、なかなか心をうまく開けない若者が就職するのにとても良い会社です。そして正社員まで引き上げてくれるのです。
知事 それはすごいですね。
中山 私の夢ですが、業務が細分化されているような企業が、地域の若者を受け入れてくだされば、地域内で経済が回る仕組みができるのではないかと思っています。
今後の抱負
田村 もともと関心が高かった社会教育を決して忘れたわけではなく、地域で若い人たちが育ってきて、地域全体が元気になってゆけば、自然と社会教育がなされる場になるのかなと思っています。先の目標としては、町全体が学校のような地域を作ることです。大人は子どもから学び、子どもは年齢の異なる様々な大人から学ぶ。そんな光景が学校以外の場所でたくさん見られる地域が理想だなと思っています。そういう地域を目指して、今、活動を続けています。
横山 それは素晴らしいですね。町を舞台に学びの場を作っていきたいと。ぜひ、鳴尾モデルを作ってください。
知事 ぜひ実現したいと思います。
知事 中山さんはいかがですか。
中山 コロナ禍で若者を支援する宝塚市の委託事業がなくなってしまいました。3か月間、毎日同じ時間に家から出て、就労に関する座学を受け、地域内のボランティア活動に行くという、若者の就労支援事業です。私たちはこの事業は必要だと思い、クラウドファンディングをしたところ、地域の方からたくさんのご寄付をいただきました。まずは、この事業を進めていくことが一つの目標です。
知事 毎日同じ時間に家から出るというのが始まりなのですね。
中山 始まりです。それと、そういう若者が地域の中で仕事が出来る場所は絶対あるはずです。なごみさんのようにワンコインで若者が活動できて、ありがとうと言われる場。そのような場が地域のあちこちにできれば、地域の中の経済が回り、若者がそこにずっといることができます。そんな地域を作りたいなと思っています。
知事 それはありがたいことです。
地域の人たちと一緒に活動を展開し、まちづくりを進めておられる、お二人から色々な話を伺いました。これからも現場の第一線で、ご指導とご協力、そして仲間づくりを進めていただきますよう、ご期待申しあげます。頑張ってください。今日はありがとうございました。
田村 中山 ありがとうございました。