三原中学校・郷土部&南淡中学校・郷土芸能部
創部20年記念公演
平成14年10月6日(日)三原町中央公民館大ホール
1、戎舞・・・・両校合同
太夫・太鼓(三原中学校・郷土部) 人形(南淡中学校・郷土芸能部)
ビデオ(15分)
ビデオは、CATV回線以上でストリーミング再生できますが、再生が
間に合わない場合はマウス右ボタンクリックでダウンロードしてから
ご覧ください。
伝説によれば、およそ500年前、西宮の百太夫という神官が舟遊びをしている最中に、海面に
童子が現れて、蛭子(ひるこ・・・戎のこと)と名乗り「自分には住む宮殿が無いので帰って宮を作り
、祭れよ」と命じた。百太夫がその通りに祭ったのが、西宮の戎三郎殿とされる。
この宮に使えていた道薫坊は祭りにはよく舞を舞って神を慰め豊漁が続いていたが、道薫坊が
亡くなってからは、不漁が続いた。そこで道薫坊の姿を真似た操り人形を作って舞を奉納したところ
また豊漁が続いたという。この事を聞いた地方の人々もその舞を所望し、各地の漁場で豊漁祈願の
舞が舞われ淡路にも招かれた。それが今の淡路人形の発祥となったそうだ。そして最初の道薫坊
の舞が今の戎舞として伝承されたと言われている。
2、傾城阿波鳴門 順礼歌の段・・・・三原中学校・郷土部
あらすじ
阿波徳島の家老「桜井主膳」の預かる重宝「国次」の名刀が盗まれ、家臣の阿波の
「十郎兵衛」は、名刀を取り戻すため、「銀十郎」と名を変え、盗賊の仲間となり、女房
の「お弓」とともに大阪に住んでおりました。十郎兵衛が留守の間にかわいい順礼の
娘が訪れます。身の上を尋ねると国は徳島、親の名は阿波の十郎兵衛とお弓、三歳の
時母の手元に残した実の娘「お鶴」でした。「お弓」は愛しさの余り、その場で名乗り、
抱きしめたい思いにかられますが、子供にまで難のかかることを恐れ、涙ながらに
追い返します。しかし、今別れては二度と会うことができないと思い直し後を追うのでした。
3、恋女房染分手綱 重の井子別れの段・・・・南淡中学校・郷土芸能部
ビデオ(27分)
あらすじ
由留木家の姫の輿入れ(結婚のこと)が決まりますが、出発するときになって、幼い姫は
遠くには行きたくないと駄々をこねるので、馬方(うまかた)の「三吉」が「道中双六」をして
機嫌をとります。姫の機嫌を直したご褒美にを持ってきた乳母「重の井」を見て、「三吉」は
幼い時に別れた実の母であると知り、「重の井」に抱きつきます。
重の井は「馬方の子は持たぬ」と突き放しますが、三吉が持っていた守り袋から、離れ離れ
になった夫「与作」との間にできた我が子「与之助」に違いないとわかりました。
「三吉」の一日でもいいから親子水入らずで暮らしたいという言葉に、「重の井」の胸は張り裂ける
ばかりでしたが輿入れの決まった姫の乳兄弟が馬方では、姫に傷がつくと、泣きながら事情を
話し、帰します。いよいよ出発の時が来て、「三吉」は泣く泣く馬子歌を歌うのでした。
「坂は照る照る。鈴鹿は曇る・・・」「重の井子別れ」は有名狂言の一つで、親子と名乗れぬ
母親の悲しみは「順礼唄」のお弓と共通のものです。
聞きどころは、恩義のある藩主への忠節のため、親子と名乗れない「重の井」の口説ですが
「三吉」の母をなじる言葉も切々と人の胸を打ちます。