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邪馬台(やまと)三国志 (全) <パブー><アマゾン kindle>(B6版457p)
司馬遷の信念に従い、記紀など資料、中国史書、内外の伝承、神社の縁起、地名の由来を織り交ぜながら、倭奴国と邪馬台国の生い立ち、
互いに覇権を争いあった歴史、その末に大和朝廷が成った歴史を物語化しました。
古代史の常識や通説を歴史的観点から検証していくと、戦前から信じて疑うことのなかった皇統万世一系も、戦後に「百余国を束ねる王朝など存在し
なかった」と教えられたことも、誤りです。邪馬台国史の全貌がとんと解明できない原因は、ここにあります。一から考え直して、再構築する以外にありません。
大陸の古い歴史を背負ってきた渡来人たちが築きあげる上古の歴史は、魂の再来・古の善政再現・孫子の「戦わずして勝つ」の実現に挑戦した歴史でも
ありました。それらが織り重なって流転する様子は「三国志」をはるかに凌駕して、世界中に誇れる歴史だったのですが、記紀系譜は、
神武−崇神−応神とあるべきところに、神武−崇神の間に大日本家八代(綏靖〜開化、大日本王)を挟み、
崇神−応神の間に垂仁・景行・成務・仲哀の邪馬台国(日本朝)王四代を割り込ませて、万世一系に改ざんされてしまいました。
本書の王系譜は、これを本来の姿に正したもので、国宝に指定された海部氏系図と合致します。これに沿って事跡を並べ替えると、一世紀前半に始まる
倭奴国王朝すなわち天地(あめつち)の誕生秘話、大乱前後の状況、女王ヒミコの生涯、大和朝廷誕生の経緯がくっきりと浮かび上がってきます。
邪馬台三国志 倭奴国と邪馬台国の栄枯盛衰物語 <パブー><アマゾン kindle>((B6版383p)
邪馬台三国志 倭奴国と邪馬台国の栄枯盛衰(短縮編) <パブー><アマゾン kindle>(B6版297p)
邪馬台三国志 古代史の常識と通説を疑え <パブー><アマゾン kindle>(B6版398p)
古代史を丹念に検証していくと、学校で教わったことも、常識・通説とされることも間違いだらけと分かります。邪馬台国の歴史がとんと解明できない原因は、
ここにあります。一から、考え直す以外にありません。この考えと司馬遷の信念の下、水田稲作の開始から、天地、厳之国、倭国、豊葦原中つ国、伊都国、
倭奴国の王朝が興ったことや、大乱後に倭奴国本家と邪馬台国が天下を争った末に大和朝廷が興る歴史を解明し、壮大な物語に綴りました。弥生史は
過去の善政再現とともに、孫子の兵法極意「戦わずにして勝つ」の実現をめざした、世界に比類の無い歴史です。その筋書も、「三国志」を超越しています。
【あらすじ】水田稲作が縄文晩期の那珂(なか)つ国に伝わってから、大和朝廷の成立まで、那珂つ国と天之国(あめのくに)、厳之国(いつのくに)、倭国、
豊葦原中つ国、伊都(いつ)国、倭奴国(ヤマト、天地)の六つの王朝が続いた。
一八〇年代中頃、出雲で天下分け目の決戦に敗れた倭奴国王朝は、南九州の高天〔日高と天之国〓倭、日前、和(ヤマト)〕と畿内邪馬台国
〔厳之国、天(厳)之国、日本(やまと)〕に割れて覇権を争った。
一八五年、日向を発った東征軍が十数年後に日本朝を倒し、辛酉年(四〇一年)元旦に大和朝廷を開いた。
邪馬台三国志 記紀と倭人伝の正しい解釈/邪馬台国盛衰記 <パブー><アマゾン kindle>(B6版320p)
本書では司馬遷の信念に従い、記紀など資料、中国史書、伝承・神社の縁起、地名の由来、考古学成果を織り交ぜながら、神武即位が三〇一年、日神の
天照大御神がヒミコに転身、大乱勃発が伊奘諾期の一八〇年代だと多角的に立証した上で、真の王系譜と史実に迫る道のりを順序立てて綴りました。
同時に、天璽と神璽、素戔嗚の英雄伝、神功の英雄伝、日本武の出自、伊勢神宮の祭祀変遷、天璽の鏡・剣の変転等についても史実をとことん探求し、
そのつど検証できるように綴りました。
次に、その結果を総集して短編の歴史物語、『邪馬台国盛衰記』としてまとめました。言うなれば、理路整然とした論考と歴史物語、量子物理学の解法・
帰納法を介して、自説の立証を試みた次第です。論考と物語を読み進む中で、そのつど神武実在・日神がヒミコに転じた顛末等に納得されるはずです。
邪馬台三国志 天照大御神(ヒミコ)と素戔嗚尊/神武天皇と日本武尊 (『邪馬台三国志』から抜粋して編集)
乱世を鎮めた英傑たちの生涯 <パブー><アマゾン kindle>(B6版300p)
倭奴国王朝六代女系天神・天之尾羽張神(向津姫の母か祖母)の御代、即ち伊奘諾政権期の一八〇年代に、東の副都を治める皇太子(向津姫の
婿養子)が三輪オロチ族と組んで反乱した。伊奘諾は大軍を率いて東征したが、逆に北九州を蹂躙され、本拠の熊襲に逃げ込んだ。
ここに皇太子率いる畿内の邪馬台国、高千穂郷を天宮(天上にあるごとく装った都)とする高天(倭国、天之国+日高国)の王朝が並立した。
百年後、日向から東征した磐余彦(神武)は、邪馬台国の日本朝を倒して倭奴国王朝を再興し、大和朝廷に名を改めた。この間に大活躍して太平の
世に導いた英傑たち、日神の天照大御神(向津姫、ヒミコ)、素戔嗚尊、神武天皇、日本武尊の生涯をつぶさに綴りました。
邪馬台三国志 戦わずして勝った英雄列伝 (『邪馬台三国志』から抜粋して編集) <パブー>(B6版177p)
素戔嗚尊の大蛇退治/高皇産霊の葦原中つ国平定/神功皇后の新羅遠征/日本武尊の北伐
孫子曰く、「百戦百勝は善の善なるものにあらず。戦わずして敵兵を屈服させるのが善の善なるものなり。故に、上兵は謀を伐つ」
倭奴国王朝六代女系天神の御代、即ち伊奘諾政権期の一八〇年代、東の副都を治める皇太子がオロチ族と組んで反乱し、邪馬台国を立てた。
出雲の決戦で敗れた伊奘諾は、本拠の熊襲に逃げ込んだ。百年後、日向から東征した磐余彦(神武)は、邪馬台国の日本朝を倒し、大和朝廷を開いた。
この間に、孫子の兵法極意「戦わずして勝つ」・「刃に血塗らずして敵を平伏させる」をみごと遂げた英雄たちの偉業を仔細に綴りました。
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