7、総括として いかなごについてたずねてみると、阪神地区の人は必ずと言っていいほど、語ってくれる。 くぎ煮を炊いている人は 自分の炊いているのが一番美味しいと、自信をもっているし、炊かない人は、知人や友人、親や親戚など、近しい人から毎年のように送って貰っている。 春にいかなごを食べない人がいないぐらい、実際嫌いな人が極端に少ないと言える。 春を告げる旬の食材として、瀬戸内の砂地に生息するいかなごを以前は、釜揚げとして 食していたが、漁協とコープ神戸との共同で、生の新子を販売促進のため、それまで個人的に家庭や、限られた店で炊いていた佃煮・時雨煮のおいしさに注目して、漁師のおかあちゃん料理の「いかなごのたいたん」をレシピとして講習会や店頭にパンフレットを置きだしたのが、ブームのきっかけになったと判明したといっていいだろう。
しかしいくら仕掛け人がいたとしても、これほどまでにひろまるものだろうか? それが何故なのかとレシピを見ると、材料は、いかなごは当然として、濃い口しょうゆ、ざらめ砂糖、酒、みりん、と一般の家庭で手に入る調味料だけで作れるし、最初に調味料をなじませて強火にかけて 煮汁に粘りがでたら弱火にし 煮汁がなくなれば火を止める。このように、家庭で調理をしている人であれば、簡単にできる作業で作れるのである。
途中で混ぜない、アルミホイルで落し蓋をして煮汁の泡で包んでたく、出来上がりのざるにあげ煮汁を切るなど、チョットしたコツも炊く人の心をくすぐるのではないだろうか? そして、できあがりがすばらしい! はじめて炊いたとしても、おいしいのである。小魚の炊いたものはいろいろとあるが、いかなごは実に万人受けする味なのだ。 そして高級感をかんじる上品な味なのだ。しょう油や砂糖の味に負けないかぐわしい味が香りがするのである。色艶もよく、みばもよく、おいしいとなれば、調理人としては、大満足である。そして、家族に食べさして、とうぜん子どもから高齢者までおいしい、ごはんが進む、酒がうまい肴であるとほめられるのである。 そこで、阪神間の特徴である。ちょっとしたプレゼント交換の場に登場するのである。近所の仲良しが集まって日常的にお茶をする場所や、ちょっとしたお礼や到来もののおすそ分けに、このいかなごのたいたんが登場したのである。
そこは、情報交換の最小単位で どないしたん、こんな高級なものが炊けるん、教えてと広まっていったようだ。口伝えであっても覚えられないような難しい炊き方でなく。少々分量に差があったとしても、大失敗しない優れものだったためだろう。 また調味料の分量の差はそれぞれの家庭の味になり、入れる薬味も土生姜だけでなく、山椒やレモンなど、家庭によって工夫されていったようだ。 そしてそれがすべておいしいのである。何を入れても、いかなごそのもののおいしさが生かされ、それぞれが自信を持つ 我が家の味になっていたのである。 家のが一番おいしいで!と胸をはっていえるのである。 そしていかなごが期間限定なのも、大切な要因であると思える。2月末か3月始めの解禁日から4月10日前後までの40日間しか取れないのが貴重なのである。 20年前にはほんとに安価であった生のイカナゴ 1キロ4・50円(現在は1000円まで)で買えて、手に入り安い調味料で家庭の調理器具でそんなに手間がかからずできるから、何回も炊いて大量に作って配って喜ばれる そんな優れものの我が家の味を、他の土地にいる人に送ってあげたい、こんな気持ちが起きるのは当然であろう。お世話になった方へ、親戚へ、仕事のつきあいの方へと送りだしたのである。 そして手作り、季節限定、高級感のあるおいしい贈り物は相手先でも喜ばれその土地の名産との交換が行われているのも事実である。 そして年中あれば炊く人も飽きるし、有難さも減ってくるのである。毎年、春を告げようとする時期にいかなごが手にはいることが そしてとっても短い時期に貴重さをましているのだ。
しかし、漁協や販売所の努力も見過ごしてはならない、それはいかなごのくぎ煮を成功させるのは鮮度であること重要なのである。 イカナゴは とれてから3時間が鮮度の限界でそれを過ぎると、団子状に炊き上がり 釘のようにパキっとした食感がでないのである。だからくぎ煮なのだ。 明石浦漁協では鮮度を保持するためコストがかかってもたくさんの氷を使い、また中国自動車道を使って新選なまま運べる範囲に限って(渋滞がほとんど無く京都まで運べる) いるなど努力をしているのである。 またコープこうべなど販売所でも鮮度にこだわっていることは 当然である。 たくさん炊いてくれる消費者を満足させる鮮度が毎年必要なのだ。他の地方からやってきたイカナゴは、と言っても海は続きの大阪湾や瀬戸内海なのでそれほど差はないのだが、鮮度が劣っているので、炊いても団子状になってしまうのだ。 くぎ煮のパキっと感は新鮮なままに台所に登場しなければ意味が無いのである。16年度は取材に訪れた明石浦漁協の話ではイカナゴ漁は油流失事故の影響で解禁日の変更など、不漁だったようだが、スーパーなどでは大量に余っていたと聞く所もあり、この地域に生のイカナゴを運んでくれば高く売れると言うものでもない。 反対に鮮度の落ちたものを売ると言う行為がイカナゴブームに水をさすことになりかねない。 阪神間にとって平成7年の阪神淡路大震災はとんでもない災害だった。 1月17日になぜかイカナゴのくぎ煮の地域とリンクするように大きく揺れて大きな被害でたくさんの不幸があった。 そのなかでも自然は営みを続けてくれていたのだ。12月の寒い鹿の背の砂地にイカナゴが生みつけた卵が孵化して早春の海に新子が例年のように、浮かんできたのだ。そして漁師もがんばって漁をし、新鮮なまま災害地の台所に届けてくれたのだ。 まだまだ混乱のつづく中、配って貰ったカセットコンロと鍋でくぎ煮を炊き、家族や知人を励まし、お見舞いを下さって全国の方に送ったのだ。 くぎ煮のかぐわしい香りは春を感じ、生きる希望を与えてくれたのである。 いずれにしても、新鮮なイカナゴの提供した漁師たちと、販売をスムーズに行ったコープこうべのしかけがあったとしても、炊く人が共感しなければここまでの広がりはなかったはずだ。イカナゴのくぎ煮は、よろこびマイブランドなのである。 (イカナゴの今後など環境や広がりについては続いて調べていきたい。) |